言葉の呪い

言葉の呪い

Jul 12、2024岩﨑敬太

 

ずいぶんブログの更新が空いてしまいましたがこちら福井も暑い日が続いています。昨年あたりから38℃なんていう体温を超えてしまうような日も出てきて、ヴィンテージ家具屋の経営としては円安と気温のうなぎ上りな状況に逆に背筋が凍るというこの頃です。

 

EPISOも数年前から屋根散水だ、業務用扇風機の増設だ、照明を全てLEDにして熱源を無くすんだと世知辛い努力を続けてきましたが、ここまでくるともうまともな室温に抑えられなくなってしまいました(最初から外気温以下には抑えられてないという説もあります。)

 

そんな時に知人がお店を仕舞うとのことで業務用エアコン要らない?というお誘いがありました。

 

色々調べた結果、取り付けたエアコンで1階を冷やすには普通の建物構造なら3台必要なスペック。ましてEPISOは断熱材も入っていない鉄の塊でできた倉庫なので1台付けたところで効くのか、動力(工場や店舗などで使われる電気)引き込みの工事からエアコン取り付けの費用まで数十万円と、電気代単価は安いけど基本使用料が高いランニングコスト(使ってない月も基本使用料は半分ほどかかってしまう!)が無駄になるのではないか??という恐怖感。

 

経営って本当に孤独な恐怖との戦いでもあって失敗して時に全てのリスクが自分に返ってくることを覚悟してたくさん並んだボタンの1つを押すような毎日なのです。まあそこにわくわくもあったりはするのですが。

 

そもそもなぜ今までつけなかったと言えば大きい理由は3つあって①開業の10年前は夏の暑い日と言ってもせいぜい32℃が数日あるかないかぐらいだったこと②自分自身が涼しく過ごせる山間部の人間であまりエアコンの必要性を感じず体がエアコンを拒んでいたこと(なんと我が家のリビングに初めてエアコンがついたのが去年!)③これが一番大きいのですが開業の際に電気工事の業者さんにエアコンってどうなんですかね?とお尋ねしたところ「こんな建物で効くわけないやん」「で・・・ですよね」と一笑に付されたこと。

 

結局、この気温ではお客様の体調も心配だし自分のパフォーマンスも落ちるしどうにかしないとと、先の知人から格安で譲っていただいて取りつけ工事をしたのが昨年11月。冬は薪ストーブで出番がなかったのですが、6月中旬からいよいよ稼働しました。

 

結果、、、めちゃくちゃ効きました。何なら寒い。気温35℃程度の場合、さすがに1階全部は均一に冷えないもののメインエリアは最高に快適。端のエリアもあの空気が重みを持ってまとわりつくような暑さはほぼありません。

 

今までの真夏の時期はお店として恥ずかしすぎて「誰も来ないで欲しい」と思うような日々。来てくださったお客様と汗をぬぐいながら商談という、古き良きスタイルという言葉で済ますにはいささか無理のある状況は何だったのか。

 

思えば開業当初はデンマークからの家具を載せたコンテナが税関で見事に検査に引っ掛かり、回避対応するノウハウも無い中であれよあれよという間に輸入費用は数十万円の追加が必要になったり、どんどん商品数をふやしていかなければならないということもあり、いつどのぐらいの経費が必要になるか分からない中で、やっぱり予定変更して一応エアコン付けとこーっと、とはならなかったと思うんですが、6,7年は無駄にした感覚。

 

その遅れの全ては自分の経営判断の甘さ遅さ思い切りの無さによるものではあるのですが、その判断をするに至った材料としてはやはり③の「効くわけないやん」というプロの言葉がエアコンの事を考えるたびに頭の中でリフレインしていた部分はあります。

 

そう思うと10年も1つの言葉の呪縛に身動きできず機会を逃してしまっていたんだなぁと。(結局知人がとても手ごろな値段で譲ってくれたおかげでコストを抑えられたというメリットやきっかけはありましたが)

 

こういう事ってよくあるようで実はあまり気づけない事なのかもしれません。その呪縛から逃れて初めて分かることだと思います。表現が難しいのですが無意識にとらわれ続けていればきっと固定概念で何も思わずそのまま続行を選択するだろうなと。何もない空間をいきなりぱっと掴んで物質を手の中に出現させるように問題設定をするようなものなのでとても難しい。

 

だからその見えない固体を見逃さないために、自己否定と言うと違うかもしれませんが常に自分のやっていること、考えていることは正しいのだろうか、実はもっとよい方法があるのではないかを疑う事、時には自分の計算に頼るよりも度胸で飛び込まなくてはいけない時があるのではないかと考えさせられます。

 

そしてもう一つは自分も他人に言葉の呪いの魔法を使えてしまうという事。一応これでも四半世紀に渡って家具の仕事をしてきたプロとしてお家づくりなどの家具にまつわるアドバイスや意見をお客様にお伝えする時にお客様が本当に望んでいる形の可能性を潰してしまうかもしれないという事です。

 

自分の言葉がお客様が長い間過ごす空間の限界を決めてしまうかもしれない。それは良くないことだと思います。あくまでインテリアは使う人の自由で個人の適合性があった方が良いのではないか。使う人がおしゃれと感じるならそれは絶対におしゃれだし使い勝手が良いと感じるならそれで良い。もしもっと使い勝手が良くなる方法があったとしてもそれを候補としてお見せすることはしても他の選択肢を隠したり奪ってはいけないと思うのです。

 

インテリアのセオリーや自分の好みや流行り廃りなど、流動的な判断材料をあたかも絶対に守るべき要素のような見せ方で押し付けてしまうことはやってはいけないなとひんやりしたエアコンの風にあたりながら思うのでした。

 

というわけで今回も少し長くなってしまいましたがつまり「EPISOは暑い、とはもう言わせない!」そういう事です。あ、前言撤回、夏の2階は今まで通りサウナです。気が大きくなってしまいました、すみませんm(_ _)m

 

 

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